骨董品

三浦樗良筆「うぐひすの」自画賛

冨田鋼一郎

うぐひすの古声したふ初音かな  樗良

季語:うぐひす(春)
早春の朝、柳の木からうぐいすの鳴き声が聞こえた。まだ鳴きなれていないせいか、昨年のように見事に鳴くことはできず、たどたどしい。もっと上手に鳴くことができたはずだ。春到来の感激を、あたかもうぐいすも自分の鳴き声に懐かしく聞きほれているかと重ね合わせて感じた。作者も、ようやく春になったことの喜びを隠し切れない。淡雅・平明であるが決して俗には陥っていない佳句である。この句の眼目は、中七の「古声したふ」。

《「鶯の初音」の句比較》

うぐひすや身をさかさまに初音かな  其角
うぐひすの古声したふ初音かな  樗良
鶯の枝ふみはずすはつねかな  蕪村

其角句は、鶯の飛ぶさまを「身をさかさまに」と大げさに表現した。春告鳥として鶯が活躍する時候、その動作に春到来の喜びが伝わってくる。
蕪村句は、梅の枝をあちこちとする鶯が枝を踏み外したはずみに、はらはらと梅の花びらが散ってくる。初音が聞けるかと耳を澄ますと同時に、鶯の可憐なしぐさにも目をやる。聴覚と視覚に働きかけることにより、鶯の陽気で元気な様を捉えることに成功した。

《蕪村らとの交流》
安永二年(1773年)九月の一夜、樗良は蕪村・几董とともに病床の嵐山を訪い、4人で巻かれた歌仙四巻「此ほとり一夜四歌仙」は、俳諧史上不朽の傑作といわれる。

薄見つ萩やなからん此辺(ほと)り  蕪村
風より起る秋の夕に  樗良

恋々として柳遠のく船路哉  几董
離々として又蝶を待草  蕪村

三浦樗良(みうら ちょら1729-1780)

江戸中期の俳人、号は無為庵。志摩の人。蕪村らと交わり、中興俳壇の一雄となった。

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冨田鋼一郎
冨田鋼一郎
文芸・文化・教育研究家
日本の金融機関勤務後、10年間「学ぶこと、働くこと、生きること」についての講義で大学の教壇に立つ。

各地で「社会と自分」に関するテーマやライフワークの「夏目漱石」「俳諧」「渡辺崋山」などの講演活動を行う。
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